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人の思考の発達プロセスについて。

傲慢な精神が、暴力で君たち人間の愚かさを略奪する。
実在する仮面ライダー。
ドリル番長だ。

え~とね。
私には人の名前を覚えるのがボケ老人クラスに匹敵するほど苦手という個性がある。
簡単なことで、顔で記憶しているんで、当人を認識するのに名前の優先度が低いんだ。
地名についても、その場のビジョンや地理的位置関係が記憶の優先度が高いので、地名を覚えにくい。
要するに、ビジョン優先型で、言語に対する優先度が低い。
このタイプは、子供時代必要な教育は教科書主導の教育じゃなくて、ビジョンの認識力をさらに高める訓練こそ学習なんだ。
西洋/イデア界 東洋/涅槃この観念世界に関する認識補強が課題なんだよ。
強い観念の認識は、それ自体で思考に発達する。

私の場合だと、メモが取りたくてボールペンを探す必要が出たとしよう。

ボールペンのビジョンを見る。
鉛筆立てと、前回ボールペンを使用した場所が並んでビジョンに映る
非言語の「思い」と言われる情動のみで、どちらに探しに行こうかと思いながら、「思い」(情動)のみで、きちんと片付けとけばよかったと感じる。
足が前回ボールペンを使った場所に向かい、ビジョンに重なるボールペンがそこに放置されるのを身体的視野で確認して手の取る。
片付けときゃ良かったと感じた情動に忠実に、少し散らかっているそこら辺を片付ける。

こうしたプロセスでボールペンを手に取るけどね、私はその間、言語的思考の補足は必要としない。
「思い」(情動)は認識しているけど、それにも「片付けときゃ良かった」と言う補足はいらない。
言語が思考で優先するタイプはこれはイメージしにくいだろうが、私は自己を確認するために常に言葉で思考し続けることもなく、言語的思考が存在しない心理状態を形成できる。
ビジョンのみの静かで安定した心でいられる。
このボールペンの例は、論理と同じ過程で、ビジョンのみで自己の意思と行動を決定し達成しているね。
それは思考の役割そのものであり、したがって言語なしで思考が成立するということだ。
言語的思考不要でも、言語的思考での補足は行っていてね、まるっきり語ることもないままでボールペンを探してもいいし、メモを取る動機に忠実にボールペンでどんな文章を書くか推敲していてもいい。
そもそも君たちは、言語に反応して文章の推敲を考えている間、無意識的に私が説明した手法でボールペンを探していないかい?
その心理状態では、ビジョンに対する動物反射は思考と認識しないだろう。
言語のみを思考と認識しているだろう。
無意識状態で行動する過程は、ビジョンに対する認識が弱いということだ。
これは直感能力が低い場合で、ビジョン優先度が高いほど直感が顕在化する。
なぜなら、思考の過程に論理による拘束が弱く極めて自由度が高いから「ひらめき」連発状態になるんだ。
堂々と自慢するけど、天才の考え方だよ。
以上が今回の論説。
これは今まで研究していたことをさらに、他者との交渉のために言語的に認識を洗練させただけだ。
次回に続く考察は、もちろん皆さんを恐怖に沈める、観念到達のための「死の儀式」だけど、それはともかく、以上の論説に対して、考察してくれ。
ビジョンの認識を補強する論理が、従来では「死者の論理」であったのだ。
という質問。
哲学既存の命題に取り組む以外にも、自分で命題を作る研究手法があって、その範疇で質問しているよ。

投稿日時 - 2018-06-15 02:54:02

QNo.9508442

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