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歴史上の合戦で将軍は前線にいることもあった?

よく歴史漫画などで
軍隊の武将が前線で歩兵などを一度に何人も倒したり
敵将と一騎打ちしている描写がありますが
これは読者ウケを狙ったものと考えていいでしょうか?

当然武将といっても
人間ですから前線にいると歩兵などに倒されることもあると思います。

私のイメージは
軍の将軍は武将であろうと智将であろうと
後方にいて指示を出しているというイメージです。

投稿日時 - 2018-05-18 16:29:45

QNo.9499647

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回答(6)

ANo.6

武田信玄は常に後方に居て部下に戦を任せていた(これは部下が優秀で信頼していたため)
だから謙信との一騎打ちなんて創作

逆に織田信長は馬に乗って前線で戦ってましたね
あの人は性格的に「敵は俺の手で血祭りにあげてやる」と言う感じでしょうか 笑

投稿日時 - 2018-05-21 14:00:50

ANo.5

世界史
ナポレオン=ボナパルトが有名(下記の回答者参考)

韓信の背水の陣
諸葛孔明の空代の計
孫子の兵法

日本史
本田忠勝は57戦し無傷で有名

基本的に孫子の兵法を参考にした武将が多い。
(武田信玄の風林火山など。)

注意:将軍、武将では意味が違う。

投稿日時 - 2018-05-21 05:05:27

ANo.4

そりゃぁ戦争状態なら色々なケースも有りだろう。

投稿日時 - 2018-05-21 04:52:38

ANo.3

うーんこの場合将軍という言葉の意味を精査する必要があると思います。
中国で言うと戦国時代や楚漢戦争の時代の将軍は、おっしゃるとおり軍の中心で全軍を指揮する指揮官です。
ですが三国志やそれ以降の時代だと、1部隊の指揮官が将軍と呼ばれてます。
なので将軍という字面に振り回されず時代状況できちんと使い分けるべきかなと思います。

日本で武将というと、源平時代はまず一番前に武将がでてきて名乗りを上げてそれから一騎打ちなり戦が始まります、ですから前で指揮し時には戦ってますね。
戦国時代だと、武将は基本的には各自が大名と呼ばれる盟主を仰いだ小領主ですね。この場合基本的に武将は部隊の中心で傘下の兵を指揮するのが役割です。
ですが伊井直正が有名ですが先頭切って突っ込んで勇名を轟かせたりそのまま戦死する武将もいるので、うーん結構各自の個性に依るのでしょうかね・・・。

投稿日時 - 2018-05-18 22:13:49

ANo.2

古代の戦争は、いうてみれば暴走族みたいなものでした。さすがに暴走族のリーダーともなれば親分ですが、子分どもは単なるヘタレの集団です。
そしてその武将は今でいうならアスリートです。質問者さん、もし自分が兵士だとして目の前に鎧を着たボブ・サップが槍を持って立っていたらどうなりますか。「我こそはボブ・サップ。さあ、命のいらぬものはかかってこい!」といわれたら、ひぇーお助け、命あっての物種と逃げてしまうのではないでしょうか。倒したら褒美をやるぞといわれても、あんなん絶対勝てないから褒美とかいう問題じゃないと思うでしょう。
さてそんな中で、味方の中から「我こそは白鵬。お相手をいたそう!」と出てきたら、あの人なら倒せるかもしれないと味方はみな盛り上がることでしょう。

現代のスポーツの試合だって、味方のチームがホームランを打ったらそのファンは盛り上がり、相手チームのファンはシュンとなります。自分たちがやってるわけじゃないのにね。
だからその対決でもし味方の白鵬が倒されてしまったら、あの相手の武将はバケモノだ、とみんな怖ろしくなって逃げてしまうことでしょう。そうなったら勝敗が決まりです。

古代ギリシャだと集団戦法ですから、今のラグビーやアメリカンフットボールみたいな感じだったと思います。実際、アメリカンフットボールは古代ファランクスのスポーツ版だと思いますよ。

日本各地にケンカ祭りといって男同士が集団でぶつかるお祭りがあるのですが、そういうお祭りでは、最前線は体力もあり場数も踏んでいる20代後半から30代の世代が並び、その後ろが10代や20代前半の若い子たちなんです。そしてその後ろの最後尾がお爺さんなどの高齢世代となっています。若い子たちは真ん中で挟まれるんですね。若い世代は祭りの迫力にビビって腰が引けてしまうので、ベテランの世代が一番後ろについて若い世代が逃げないように後ろから押しちゃうのです。
面白いことに、古代ギリシャのファランクスもまったく同じで、若くて場数を踏んでない世代が真ん中で老齢のベテラン世代は後ろから若い世代が逃げないように抑える役割なのです。

ある時代までの戦争というのは死人が出るラグビーみたいなものですから、その最前線で率先して突撃する「命知らず」がいないと勝てないものですよ。
ラグビーで攻撃の司令塔となるのはナンバー8と呼ばれるポジションで、屈強なフォワードの選手の真後ろにいてボールをいつ出すか、どういう攻撃をするかの指示と判断をしますよね。日本代表のナンバー8といえばリーチ・マイケル選手です。リーダーシップや人望の他に、相手選手からも容赦なく潰されますからアスリートとしての強さも必要です。
リーチ・マイケル選手のような存在がいわゆる猛将、勇将タイプでしょうね。
知将タイプとなると、五郎丸選手のような人でしょうか。

では三国志の軍師のような人たちはどんな存在だったのか。私はおそらくは官僚のような存在ではなかったかなと思っています。何千、何万もの軍勢が移動するとなると、その食料を用意するだけでも大変です。必要な資材を必要な場所に手配する裏方さんが必要ですよね。そしてそれは事前の準備が肝心ですから、当然どのルートを通ってどの城を攻略するかという作戦を立てるところに関わることにもなりますよね。

投稿日時 - 2018-05-18 17:30:08

ANo.1

>これは読者ウケを狙ったものと考えていいでしょうか?

時代によって戦のやり方は違いますけど。
日本の場合、
平安から鎌倉時代までは、
部隊の指揮官である武将が一騎打ちをするのが
、ごく当たり前の戦のやり方。

鏑矢を双方で放ち戦開始の合図で、
お互いに適当な相手を見つけ名乗りを上げ、
戦い始めます。
当時は騎馬武者が戦の主役ですので、
従者をねらうのは卑怯者扱い。

ヨーロッパでも、
ナポレオンがプロイセンと戦うまでは、
基本的には騎士の一騎打ちで勝敗が決められていました。


総大将になった武将で一騎打ちをしたのは、
三国志の
呂布と郭汜のみしか知りません。
(郭汜が軍勢を集め長安を包囲し、
郭汜のほうから一騎打ちを申し出た)

孫策と太史慈は、
太史慈が斥候任務の時に偶然孫策と出会い、
闘ったので、総大将が先陣切っての一騎打ちではありません。

投稿日時 - 2018-05-18 17:18:09

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