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解決済みの質問

デカルトの心身二元論について

デカルトは心と体は独立しているという考えでしたが、精神的に病んでいれば実際に体調も悪くなると思います。

これは心と体が通じ合っているということではないのでしょうか?そうすると心身二元論は成り立たなくなると思うのですが、どうなのでしょうか?

よろしくお願いします。

投稿日時 - 2008-06-18 17:53:14

QNo.4110599

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

> 精神的に病んでいれば実際に体調も悪くなると思います。

いやいや、そういう考え方が「精神」と「身体」を二元論的に考えている、ということなんですよ。

だって、一元論的に考えると、そもそも「精神」と「身体」を分けて考えることもなく「体調が悪い」とだけ言うではありませんか。

「精神的に病む」(原因)→「体調が悪くなる」(結果)
というふうに、原因と結果という脈絡で考える、その考え方そのものが二元論なのです。

わたしたちは身体とは別に精神というものがある、とどこかで考えています。
デカルトの登場した近代ヨーロッパばかりでなく、世界中で、大昔からそういう考え方は根強いのです。

デカルトが「心身二元論」の祖とされるのは、そういう意味とはちょっとちがいます。
デカルトは身体という実体と精神という実体とのふたつに切り離します。そうして、精神である心が主体、延長(※これはデカルトの用語で、「放送時間の延長」とかの意味とはちょっとちがう)である身体は客体と位置づけていったのです。
そうして、その心と身体の結び目を「松果腺」という脳の器官に置いたのです。

だから「精神的に病んでいれば実際に体調も悪くなる」というのは、デカルト的に言っても「無問題」なわけ。

このデカルト流の心身二元論というのは、わたしたちの考えのなかにも根強いものです。
わたしの体はわたしのもの、という言い方があるんですが、このとき「わたしの体」を所有している「わたし」って何なんでしょう? わたしの「心」? わたしの「脳」? ともかく「体」以外の何かが体を所有しているから、そういう言葉が出てくる。その発想が二元論なんです。

たとえば臓器移植なんていうことができるのも、身体の中の臓器を機械の部品のように考えているからそういうことができる、ともいえます。
あるいは「脳死」は人の死かどうか、という議論にしても同じです。

「人間は身体としてある」みたいな意識が哲学で出てきたのは、二十世紀に入ってからですからね。それでも、一元論的にとらえるのはなかなかむずかしいんです。

投稿日時 - 2008-06-19 07:03:50

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回答(6)

ANo.6

×これは意識が全てを想像する。
○これは意識が全てを創造する。  すみません。

投稿日時 - 2008-06-20 10:56:57

ANo.5

コギト エル ゴ スム
我思うゆえに我あり

これは、懐疑論の結論で、デカルトはそもそも自分すらこの世に
存在しないのでは?という疑問から哲学しちゃっているんだと
思いますよ。
ですから、心身二元論は、疑って疑って疑いつくした結果、どうも
意識というのは「あるんじゃないのかなぁ」みたいな感じだし
身体というものも「あると思っていいんじゃないかなぁ」という
感じだったんで
この二つは、疑いなく「有る」というわけで、その場合
「我 思う」の「我」とは肉体の頭脳なのか「精神」のものか
よくわからん。どっちも大事だから二元論になっちゃった。

そのむかしはタレスが万物の根源は水だ・・とか言っていたのに
比べればましな結論だといえますね。タレスは一元論。

インドの古代仏教は唯心論(唯識論)。これは意識が全てを想像する。
デカルト流に言えば「我 思う ゆえに世界あり」です。
我おもうゆえに「我(という身体)」ありというのが、デカルトですが
懐疑論は、そもそも思惟が世界を動かすという唯識論とは根本的に
相容れない。神から分離した近代哲学の孤独感を表していて興味深いです。

とにかく、恋人が浮気しているんじゃないかと疑うのと似たところが
あって、それまでの哲学は、神様の慈愛を信じるがゆえに救われた
ものが、俺は何者も信じないぞ。信じないことが神からの自立だ。
近代の精神だ。ということで、疑っていくと、唯識論的原理からは
「思考は実現する」わけで、結局デカルト君は恋人が浮気している
証拠を発見するはめになる。
これで、他人のことは疑えば疑った結果になるけど、どうも自分の
ことは疑ってもはじまらんな。
そういう結論になったということです。

自分が浮気しているんじゃないかと疑ったところで、自分が一番
よく知っている。一方「浮気したいなぁ」と「我思えば」脳が勝手な
妄想をはじめる。
うーん、やっぱり疑う余地がないのは、我と我が助平心だけだなと。

投稿日時 - 2008-06-20 10:50:07

起源が異なっていることが相互作用がないということにはならないと思います。逆に起源が同じでも全然相互作用がなくなってしまうものもあるのではないでしょうか。

投稿日時 - 2008-06-20 10:27:16

ANo.3

成り立たなければそれでいいじゃないか。
1だろうと2だろうと、自分が正しいと思った物が
正しいように思えるんだ。

投稿日時 - 2008-06-20 03:10:20

ANo.1

こんにちは。
デカルトには明るくありませんが・・・。

精神が病んでいる状態というのは、拒絶したくなるような辛さを味わっている状態でしょうか?つらいよ~~って心が叫んでるのは、デカルト的には肉体(物理的な方)に入るのではなかったでしょうか?

感情は肉体が作り出すもの。その感情をウチから分析?する内省できる心と肉体とに分けて二元論。   だと思ってましたが。専門家の方どうでしょう?

投稿日時 - 2008-06-18 21:27:02